ORIGIN — COUNTRY / TEA

嬉野

嬉野茶 / うれしの茶 / 嬉野市 / URESHINO

佐賀県嬉野市を発祥地とする茶で、丸い形の玉緑茶(蒸し製と釜炒り製)が特徴。「うれしの茶」の名は佐賀・長崎の両県産に使えるため、商品名の「嬉野」は市内産に限らない。

事実

事実出典階層
佐賀県の茶の栽培面積は令和元年に749 ha(全国の1.8%)、荒茶生産量は1,240 tである。pref.saga.lg.jpL1
嬉野市の茶の農業経営体は259、栽培面積は431 haである(2020年農林業センサス)。machimura.maff.go.jpL1
佐賀県産茶の令和元年度の取扱量(西九州茶農業協同組合連合会)は、かぶせ茶296 t(46%)、露地栽培の玉緑茶179 t(28%)、普通煎茶106 t(17%)である。pref.saga.lg.jpL1
佐賀県産茶の令和元年度の釜炒り茶の取扱量は55 tで、取扱量全体の6.1%である。pref.saga.lg.jpL1
嬉野の釜炒り茶は、1504年に明から渡来した陶工が南京釜を持ち込み、製法を伝えたと伝えられている。bunka.go.jpL1
明治期に蒸して作る「伸び煎茶」が主流になっても嬉野では釜炒り製法が続き、昭和の中頃からは釜炒り茶の形を踏襲した蒸し製玉緑茶への転換が進んだ。bunka.go.jpL1
嬉野市内の釜炒り茶はほとんどが機械式で、嬉野式と呼ばれる傾斜をつけた釜(唐釜)を使い手作業で作る生産者が現在も残る。bunka.go.jpL1
「うれしの茶」は地域団体商標(登録第5140676号)で、権利者は西九州茶農業協同組合連合会と佐賀県茶商工業協同組合である。jpo.go.jpL1
「うれしの茶」の指定商品は、嬉野市を茶の発祥地とし、佐賀県および長崎県において生産加工された茶である。jpo.go.jpL1
「うれしの茶」の地域団体商標は、平成20年(2008年)6月13日に登録された(登録第5140676号)。pref.saga.lg.jpL1
佐賀県の令和元年産の品種別栽培面積は、やぶきた509.7 ha(74.6%)、さえみどり58.9 ha(8.7%)、おくみどり33.9 ha(5.0%)で、合計は680.9 haである。pref.saga.lg.jpL1
佐賀県茶業試験場は、新品種や栽培・加工技術の試験研究と生産者への技術支援・普及指導を行い、昭和4年に民間立の茶業研究所として設立された。pref.saga.lg.jpL1
品種さえみどりは、やぶきたを種子親、あさつゆを花粉親とし、さえあかりは、Z1を種子親、さえみどりを花粉親とする。pref.saga.lg.jpL1
江戸時代に、地元の人物が嬉野市不動山の山林を拓いて茶の栽培を奨励し、茶業の発展に努めたとされる。pref.saga.lg.jpL1
嬉野市の資料は、茶の摘採を一番茶は4〜5月、二番茶は6月とし、その前の3〜4月に晩霜対策を行うと示している。city.ureshino.lg.jpL1
うれしの茶の茶葉は勾玉状に丸い玉緑茶(グリ茶)で、蒸気で蒸したものを蒸し製、鉄釜で炒ったものを釜炒り製と呼ぶ。city.ureshino.lg.jpL1
蒸し製玉緑茶は、煎茶と違い、生葉を蒸した後にまっすぐ整える工程(精揉)がないため、仕上がりの茶葉が丸い形になる。pref.saga.lg.jpL1
玉緑茶の加工は、茶葉を蒸して酵素を働かなくし、混ぜながら熱風で乾燥し、茶葉が丸まるまで混ぜ続け、包装前にもう一度熱を加える。mlit.go.jpL1
佐賀県の茶栽培農家数は平成22年1,283戸、27年855戸、30年669戸、令和元年403戸と減っている。pref.saga.lg.jpL1
佐賀県の荒茶工場数は平成17年198、22年178、27年155、令和元年113で、令和元年は個人有86、協業型20、農協有7である。pref.saga.lg.jpL1
佐賀県の茶の栽培面積は昭和55年の1,170 haから、平成22年1,010 ha、27年891 ha、令和元年749 haへ減っている。pref.saga.lg.jpL1
東彼杵町の「そのぎ茶」の茶園は専業農家を中心に400 haまで拡大し、長崎県の茶葉生産量の約6割を占めると、町は示している。town.higashisonogi.lg.jpL1
「そのぎ茶」は長崎県のほぼ中央に位置する東彼杵町で作られる茶で、蒸し製玉緑茶として全国茶品評会に出品されている。town.higashisonogi.lg.jpL1
令和元年の荒茶工場数は、長崎県92、佐賀県113、福岡県149で、長崎県は個人経営が77にあたる。pref.saga.lg.jpL1
「うれしの茶(嬉野茶)」は平成14年(2002年)に、佐賀県または長崎県で生産された原料茶を100%使用して仕上げ加工した茶を統一銘柄とした。maff.go.jpL1
嬉野の大チャノキは国の天然記念物で、大正15年(1926年)10月20日に指定され、所在地は嬉野市嬉野町大字不動山字白川乙2488である。online.bunka.go.jpL1
嬉野の大チャノキの管理団体は嬉野市で、管理団体の指定は昭和3年2月9日である。online.bunka.go.jpL1
嬉野の大チャノキは推定樹齢300年以上とされ、30数本の樹幹が成長した株で、枝張りは8 m、樹高は4 mになる。pref.saga.lg.jpL1
嬉野の大チャノキは、慶安年間(1648〜52年)に蒔かれた種で始まった嬉野茶のうちの1本が残ったものだと伝えられている。pref.saga.lg.jpL1
嬉野茶の始祖とされる人物が1650年代以降に不動山地区で茶を栽培したと伝えられるが、その真偽は不明とされる。city.ureshino.lg.jpL1
1690年に長崎街道を通って嬉野を訪れたドイツ人医師が、街道沿いに茶園が広がっていたと記録しており、以後、嬉野での茶の記録が散見される。city.ureshino.lg.jpL1
うれしの茶の最初の輸出は、1760年にオランダ商社が長崎港から行ったとされている。city.ureshino.lg.jpL1
1853年に長崎の茶商がうれしの茶の見本を英国・米国・アラビアの3か国に発送し、3年後に英国人が長崎で茶を注文したのが、輸出の始まりとされる。city.ureshino.lg.jpL1
江戸時代末期に長崎の女性貿易商が嬉野茶など九州一円の茶を英国などへ輸出したことを契機に、明治時代には茶が日本の重要輸出品目となった。pref.saga.lg.jpL1
全国茶品評会の農林水産大臣賞は各部門の一等一席に、産地賞は各産地の上位3点の合計点数が最も多い産地に与えられ、そのぎ茶は8部門のうち蒸し製玉緑茶の部に出品する。town.higashisonogi.lg.jpL1
令和8年8月の第80回全国茶品評会は嬉野市で開催され、7茶種8部門に全国から814点の出品があった。pref.saga.lg.jpL1
佐賀県の令和2年度の全国茶品評会の結果は、嬉野市が蒸し製玉緑茶の部と釜炒り茶の部の両部門で産地賞1位だった。pref.saga.lg.jpL1

百科

位置と産地

嬉野は佐賀県嬉野市を中心とする茶の産地である。佐賀県の茶の栽培面積は令和元年(2019年)に749 ha(全国の1.8%)、荒茶生産量は1,240 tである。嬉野市の茶の農業経営体は259、栽培面積は431 haである(2020年農林業センサス)。

佐賀県の茶の栽培面積は昭和55年の1,170 haから、平成22年1,010 ha、27年891 ha、令和元年749 haへ減っている。茶栽培農家数は平成22年1,283戸、27年855戸、30年669戸、令和元年403戸と減っている。荒茶工場数は平成17年198、22年178、27年155、令和元年113で、令和元年は個人有86、協業型20、農協有7である。令和元年の荒茶工場数は、長崎県92、佐賀県113、福岡県149で、長崎県は個人経営が77にあたる。

茶種と玉緑茶

佐賀県産茶の令和元年度の取扱量(西九州茶農業協同組合連合会)は、かぶせ茶296 t(46%)、露地栽培の玉緑茶179 t(28%)、普通煎茶106 t(17%)である。釜炒り茶の取扱量は55 tで、取扱量全体の6.1%である。

うれしの茶の茶葉は勾玉状に丸い玉緑茶(グリ茶)で、蒸気で蒸したものを蒸し製、鉄釜で炒ったものを釜炒り製と呼ぶ。蒸し製玉緑茶は、煎茶と違い、生葉を蒸した後にまっすぐ整える工程(精揉)がないため、仕上がりの茶葉が丸い形になる。玉緑茶の加工は、茶葉を蒸して酵素を働かなくし、混ぜながら熱風で乾燥し、茶葉が丸まるまで混ぜ続け、包装前にもう一度熱を加えるとされる。製法の詳しい流れは茶の製法で何が起きているかに書いている。

嬉野の釜炒り茶は、1504年に明から渡来した陶工が南京釜を持ち込み、製法を伝えたと伝えられている。明治期に蒸して作る「伸び煎茶」が主流になっても嬉野では釜炒り製法が続き、昭和の中頃からは釜炒り茶の形を踏襲した蒸し製玉緑茶への転換が進んだとされる。嬉野市内の釜炒り茶はほとんどが機械式で、嬉野式と呼ばれる傾斜をつけた釜(唐釜)を使い手作業で作る生産者が現在も残る。

品種と研究機関

佐賀県の令和元年産の品種別栽培面積は、やぶきた509.7 ha(74.6%)、さえみどり58.9 ha(8.7%)、おくみどり33.9 ha(5.0%)で、合計は680.9 haである。品種さえみどりは、やぶきたを種子親、あさつゆを花粉親とし、さえあかりは、Z1を種子親、さえみどりを花粉親とする。

佐賀県茶業試験場は、新品種や栽培・加工技術の試験研究と生産者への技術支援・普及指導を行い、昭和4年に民間立の茶業研究所として設立された。

摘採の時期

茶の摘採は一番茶が4〜5月、二番茶が6月で、その前の3〜4月に晩霜対策を行う。

制度と表示

「うれしの茶」は地域団体商標(登録第5140676号)で、権利者は西九州茶農業協同組合連合会と佐賀県茶商工業協同組合である。平成20年(2008年)6月13日に登録された。指定商品は、嬉野市を茶の発祥地とし、佐賀県および長崎県において生産加工された茶である。

「うれしの茶(嬉野茶)」は平成14年(2002年)に、佐賀県または長崎県で生産された原料茶を100%使用して仕上げ加工した茶を統一銘柄とした。

長崎県東彼杵町の「そのぎ茶」は、長崎県のほぼ中央に位置する東彼杵町で作られる茶で、蒸し製玉緑茶として全国茶品評会に出品されている。茶園は専業農家を中心に400 haまで拡大し、長崎県の茶葉生産量の約6割を占めるとされる。

歴史

嬉野の大チャノキは国の天然記念物で、大正15年(1926年)10月20日に指定され、所在地は嬉野市嬉野町大字不動山字白川乙2488である。管理団体は嬉野市で、指定は昭和3年(1928年)2月9日である。推定樹齢300年以上とされ、30数本の樹幹が成長した株で、枝張りは8 m、樹高は4 mになる。慶安年間(1648〜52年)に蒔かれた種で始まった嬉野茶のうちの1本が残ったものだと伝えられている。

江戸時代に、地元の人物が嬉野市不動山の山林を拓いて茶の栽培を奨励し、茶業の発展に努めたとされる。嬉野茶の始祖とされる人物が1650年代以降に不動山地区で茶を栽培したと伝えられるが、その真偽は不明とされる。1690年に長崎街道を通って嬉野を訪れたドイツ人医師が、街道沿いに茶園が広がっていたと記録しており、以後、嬉野での茶の記録が散見されるとされる。

うれしの茶の最初の輸出は、1760年にオランダ商社が長崎港から行ったとされている。1853年に長崎の茶商がうれしの茶の見本を英国・米国・アラビアの3か国に発送し、3年後に英国人が長崎で茶を注文したのが、輸出の始まりとされる。江戸時代末期に長崎の女性貿易商が嬉野茶など九州一円の茶を英国などへ輸出したことを契機に、明治時代には茶が日本の重要輸出品目となったとされる。

品評会

全国茶品評会の農林水産大臣賞は各部門の一等一席に、産地賞は各産地の上位3点の合計点数が最も多い産地に与えられる。佐賀県の令和2年度(2020年)の全国茶品評会の結果は、嬉野市が蒸し製玉緑茶の部と釜炒り茶の部の両部門で産地賞1位だった。令和8年(2026年)8月の第80回全国茶品評会は嬉野市で開催され、7茶種8部門に全国から814点の出品があった。

買い方の手引き

棚での見え方

2026-10-02 の観測では、産地を嬉野とする茶葉は 9 件、扱う店は 3 店です。茶種の欄は緑茶が 6 件、紅茶が 3 件です。摘み取りの時期の欄が「新茶」の商品は 6 件で、等級の欄が付いた商品はありません。100g あたりに換算した価格の中央値は 6,000 円です。店の説明文から取り出せた風味の系統の語はありません。

商品名の型

商品名は「年号 + 新茶 + 品種名 + 嬉野 + 製法名 + 容器」の順に並ぶ型が見られます。たとえば「2026年 新茶 つゆひかり-嬉野-釜炒り茶-茶缶」のように、品種(べにふうき・つゆひかり・在来蜜香)と製法(粉末煎茶・釜炒り茶・和紅茶)が名前に入り、同じ茶で茶缶とパッケージタイプが別の商品になります。

紅茶の欄が付いた 3 件は、いずれも品種名と「和紅茶」の製法名が入った商品です。そのほかに、茶葉ではない紅茶味の菓子、三角ティーバッグ、100g の袋を 3 つ組にしたセットも同じ産地欄に並びます。産地欄が嬉野でも、茶葉そのものか加工品かは商品名で見分ける必要があります。

産地名の読み方

「うれしの茶」は、次の節のとおり、佐賀県または長崎県で生産された原料茶を使った統一銘柄です。商品名の「嬉野」は、嬉野市内の茶園の茶に限る意味とは限りません。

観測

コピチャ観測所が公開情報から機械収集した商品のうち、この項目に一致するもの。価格は在庫ありの行の最安 100g 換算。

茶種の内訳

緑茶5紅茶3