茶とコーヒーは、どちらも「一つの土地で始まり、人の移動と貿易で世界に広がった」飲み物です。ただし速さが違う。茶は中国から千年以上かけてゆっくり広がり、コーヒーはイエメンの港を出てから 300 年で赤道を一周しました。この記事では二つを同じ年表に並べ、今の産地の形がどうできたかを追います。

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時代 茶 コーヒー
〜8 世紀 中国で薬・食として飲まれ、唐代に陸羽が『茶経』を著す(760 年頃)。飲み物として確立 エチオピア高地に野生のアラビカ。飲用の記録はまだ無い
9〜12 世紀 日本へ(最澄・空海の時代に伝来、栄西が 1191 年に種を持ち帰り『喫茶養生記』) イエメンでスーフィー(イスラム神秘主義者)が夜の勤行に飲み始める(15 世紀)
16 世紀 中国の明で「散茶」(葉のまま)が主流に。緑茶の製法が整う イエメンのモカ港から輸出(モカが交易の中心になった時期は 16 世紀とする資料と 17 世紀中盤とする資料がある)。メッカ・カイロ・イスタンブールにコーヒーハウス(1550 年代)
17 世紀 オランダ船が日本・中国の茶をヨーロッパへ(1610 年)。イギリス王室に広まる(1662 年) ヴェネツィア(1615)・ロンドン(1652)・パリ・ウィーン(1683)にコーヒーハウス。オランダがジャワで栽培開始(1696)
18 世紀 イギリスが中国茶を大量輸入。砂糖と結びついて国民飲料に。ボストン茶会事件(1773) フランス・オランダ経由でカリブ海・ブラジル(1727)へ苗が渡る。長崎の出島にコーヒーが届く
19 世紀 イギリスがアッサム(1823 年に自生種を確認)とダージリン(1840 年または 1841 年に中国種を移植)で栽培。セイロン(1867)。アヘン戦争(1840) ブラジルが世界最大の生産国に。中米・コロンビアで栽培拡大。さび病でセイロンのコーヒーが壊滅(1870 年代)し茶に転換
20 世紀 紅茶のティーバッグ(1900 年代)、CTC 製法(1930 年代)。日本で緑茶の機械製茶 インスタント(1938)、東京に「可否茶館」(1888)から喫茶店文化、スペシャルティの概念(1970 年代)

茶 — 東へ西へ、ゆっくり

茶の原産地は中国南西部から東南アジア北部にかけての山地(雲南・四川・アッサムの周辺)とされ、最初は薬や食べ物でした。唐代に飲み物として確立し、日本へは仏教とともに渡ります。栄西が宋から持ち帰った種と『喫茶養生記』(1191 年)が、日本の茶の始まりとして語られます。

ヨーロッパへは大航海時代のオランダ船が運び、イギリスでは 17 世紀後半に王室から広まって、18 世紀に砂糖と結びついて国民飲料になりました。イギリスは中国からの輸入に頼っていましたが、19 世紀にインドのアッサムで自生の茶樹を確認し、ダージリンに中国種を移植して、自前の産地を作ります。セイロン(スリランカ)は、もともとコーヒーの島でしたが 1870 年代のさび病でコーヒーが壊滅し、茶に転換しました。今の紅茶の産地の顔ぶれは、この 19 世紀の出来事でほぼ決まっています。

コーヒー — 港を出て 300 年で世界一周

アラビカの原産地はエチオピア高地です。飲み物として広まったのはイエメンで、15 世紀にスーフィーが夜の勤行の眠気覚ましに飲んだのが最初の記録とされます。イエメンのモカ港からイスラム世界に広がり、16 世紀半ばにイスタンブールにコーヒーハウスができ、17 世紀にヨーロッパの都市へ。

産地が広がったのは 17〜18 世紀です。オランダがインドのマラバール海岸から送った少数の種子をジャワ(バタビア)で育て(1696 年と 1699 年)、その子孫がアムステルダムの植物園を経由してフランス領カリブ海へ、さらにブラジルへ(1727 年)。今の中南米のコーヒーは、ごく少数の苗の子孫から始まっています。これが品種で「ティピカ」「ブルボン」の系統が世界中に散らばっている理由で、遺伝的な多様性が原産地エチオピアに集中している理由でもあります。

日本へは 18 世紀に長崎の出島経由でオランダ人が持ち込み、明治に喫茶店文化が始まります。東京・上野の「可否茶館」(1888 年)が日本初の本格的な喫茶店として知られます。

二つの伝播に共通するもの

  1. 原産地と主産地が違う。茶は中国、コーヒーはエチオピアが原産だが、生産の中心はインド・スリランカ、ブラジル・ベトナムに移った
  2. 植民地と貿易が産地を作った。オランダ・イギリス・フランスの航路の上に産地が並んでいる
  3. 病気が地図を書き換えた。セイロンのさび病はコーヒーを茶に替え、20 世紀には中南米のさび病対策で東ティモール由来の耐病品種が広まった
  4. 砂糖と結びついて大衆化した。イギリスの紅茶もヨーロッパのコーヒーも、砂糖の供給と同時に広まった

今の棚に残る歴史

  • 「モカ」はイエメンの港の名前。エチオピアとイエメンの豆に今も付く
  • 「アッサム」「ダージリン」「セイロン」は 19 世紀のイギリスの産地作りの名残
  • ブラジルの大農園とベトナムのロブスタは、20 世紀の大量生産の歴史
  • 日本の煎茶の製法は 18 世紀(永谷宗円、1738 年)に確立し、玉露は 19 世紀に生まれた

六大茶類の分類も、コーヒーベルトの地図も、こうした移動の結果として今の形になっています。

まとめ

  1. 茶は中国から千年以上かけて、コーヒーはイエメンから300 年で世界へ
  2. 産地の地図を作ったのは植民地と貿易と病気
  3. 日本には茶が 12 世紀、コーヒーが 18 世紀に届いた
  4. 豆や茶葉の名前には港・産地作り・大量生産の歴史が残っている

歴史が分かると、「なぜエチオピアの豆は品種が多いのか」「なぜセイロンは紅茶なのか」といった疑問が、産地の記事と一本につながります。